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ごあいさつ
日本丸の歴史
日本丸館建物
日本丸館とは
創業は江戸末期・安政2年(1855年)。
掛屋を営んでいた14代半蔵がたまたま
岩尾家に300年来伝わる家伝薬に目を
つけ、薬種屋「伏見屋岩尾古雲堂」を開
業し、また「伏見屋百貨店」を営業する。
その後、明治20年(1887年)15代昭太郎がその家伝薬に朱色をかけ、日の丸をイメージする「日本丸(にほんがん)」(心臓と熱さましなどの特効薬)として、販売を開始する。効能に加え、ユニークな宣伝方法で爆発的な売り上げをしめし、東京・大阪・京都・名古屋・札幌・朝鮮・満州に支店を開設し、ハワイ・ブラジルにまで販路を広げる。
戦中には、「日本丸」を慰問袋に入れ、戦地に向かったというエピソードも残っている。
昭和18年には国にゼロ戦を1機寄付するほど莫大な富を築いた。
しかし、時代の波により原料仕入れ困難となり、
昭和40年代に製造を中止し、その90年余年の歴史に幕を閉じた。その後も薬販売のみ続けていたが、平成3年秋大型台風19号が日田を襲い、
最上階の銅版などが飛び、大損害を受けたため修復し、この機会に平成5年3月資料館「日本丸館」をオープンすることとなった。

日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)として代官所が置かれ、以来、二度ほど大名支配も行われたが、それ以外は江戸徳川幕府の天領(直轄地)となった。とりわけ、貞亨3年(1686年)以降は日田の陣屋(御役所)にあって、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、九州の政治、経済の中心地として栄え、富裕な商人が、掛合や大名の御用達として活躍した。
当時、江戸や上方(大阪・京都)長崎との経済や文化の交流も多く、日田に文人墨客が訪れ、俳諧、文人画、茶道等の町民文化も栄えた。整然とした屋敷割と碁盤の目のような町筋をもつ豆田町には、今も江戸時代の建物が点在し、当時の面影をとどめている。また、豆田地区は平成16年に国の重要伝統的建造物郡保存地区に指定されている。

(天領日田の記事は地元新聞より抜粋)