日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)として代官所が置かれ、以来、二度ほど大名支配も行われたが、それ以外は江戸徳川幕府の天領(直轄地)となった。とりわけ、貞亨3年(1686年)以降は日田の陣屋(御役所)にあって、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、九州の政治、経済の中心地として栄え、富裕な商人が、掛合や大名の御用達として活躍した。
当時、江戸や上方(大阪・京都)長崎との経済や文化の交流も多く、日田に文人墨客が訪れ、俳諧、文人画、茶道等の町民文化も栄えた。整然とした屋敷割と碁盤の目のような町筋をもつ豆田町には、今も江戸時代の建物が点在し、当時の面影をとどめている。また、豆田地区は平成16年に国の重要伝統的建造物郡保存地区に指定されている。 |